2020年も引き続き「而今」
22歳になりました。今年(というか当分)のモットーは「而今」です。過去未来に囚われず、今この瞬間を淡々と生きます。 pic.twitter.com/z8bvO2d0iL
— Ryo Nakao (@nakabonne) August 2, 2019
去年の梅雨ごろ禅に出会い、「而今」という概念に出会い、これを中心に添えた人生がとても生きやすかったので、今後しばらくはこれを座右の銘として生きたいと思います。
而今
而今とは、道元禅師が中国での修行時代に悟った世界観で、意味は「ただ今この瞬間」というような意味です。教えの解釈は人によって多少異なりますが、僕は「食べるときには食べることに徹する、寝るときには寝ることに徹し、つまらないことに囚われて今というかけがえのない時間を無駄にするな」というふうに理解しています。
禅との出会い
以下ブログで綴ったとおり、去年の春、僕は少しだけ疲れていました。「これは自分のためになるのか?」「今日はどれほど有益だったのか?」という問いが常に頭に蔓延り、締切が定められてるものが1つでもあると何をしててもそのことが頭をよぎり、今やっぱあのこと考えたほうが良いかも?なんて考えてました。つまり、今やってることの先にある利益に目線がいっていたわけです。
また、web業界は発展途上であるが故に若くて経験が少なくてもでも目立てます。インターネットの力を使えば、いわば小手先の戦術的な動きをして「やってる感」を演出することが可能で、そこに何か物足りなさのようなものを感じていました。
手軽な労力で得られる充足感は逆に心を蝕むなと思っていた頃、英語学習法の一つである「只管朗読」という勉強法に出会いました。これは同時通訳の神様と呼ばれた故・國弘正雄先生が外国語学習の原点として提唱した学習法で、その内容は「ただひたすら声を出して読むのみ」です。これはただひたすら座るという意味の禅語、只管打坐をもじったものです。
1週間くらい続けた日の夜、自分に今一番必要なのはこれだと確信しました。ただただひたすら一つのことに集中する作業を繰り返すことで、何か行っている最中にその先の利益について考えないことの素晴らしさを体感できるようになりました。これは野球部時代に行っていた素振りに近いものを感じました。
目先の利益に振り回されなくなり、価値があると自分が信じていることに淡々と取り組むようになり、色々なことが良い方向に向きましたが、何より今、一つ一つの瞬間が最高に楽しいです。
おわりに
過去に囚われることは、波が打ち寄せる砂浜に絵を描くようなもので、描いたと思った瞬間波がやってきて消え去っていきます。栄光であれ黒歴史であれ、一生戻ってくることはありません。
また、考えても仕方ない未来に過剰に心煩わすことは、便器に釣り糸を垂らすのと同義であり、時間が溶けるだけです。
今やるべきことは決まっているので、それに淡々と取り組んでいきます。2020年もよろしくお願いします。